子は成長し、思春期にさしかかると、大小様々な悩みを体験します。
これは、私たち大人も通ってきた道なので、子供たちが置かれている状況が多少なりとも想像が付きます。
私も実家がラーメン屋ということで、ずいぶんとからかわれました。
日本では、大多数が所属するカテゴリーから外れると“目立ち”ます。欧米とは異なり、この目立つという異質のポジションはときに攻撃や排除の対象になります。子供たちの間にも強力な同調圧が働いています。
出る杭は打たれるというヤツですね。
私は子供の頃から自分は自分という、少し変わった考え方の持ち主だったので、たびたび目立ち、孤立し、攻撃の対象になりました。
逆に、攻撃する側にも立ったこともあります。
今でも思い出すと心が痛みますが、未熟な人格を恥じざるを得ない苦い思い出です。
当時の私はそのような雑多な人間関係について親に話すということはありませんでした。一人、悶々と悩みに耐えていましたが、それほど深刻な状態には至りませんでした。
私には離れて暮らす娘がいます。
彼女は今悩みを抱えているようです。
「・・・ようです」、というのはあちらの母親からの情報によるものであり、実際に娘の口から聞いたわけではないからです。
娘は私と一緒のときには、楽しい話ばかりで、深刻な話をしようとはしません。
離れて暮らす父親として、彼女にしてやれることは多くはありません。
今回の出張から戻ったら、お土産を持って彼女を訪ねます。
悩みを取り除いてあげたいですが、非監護親としてはできることが限られます。
傾聴してあげようと思います。