乳牛と酪農を科学する

乳牛と酪農を科学する

乳牛の栄養や酪農システムについて大学教授がつぶやきます

藪の中:見方を変えると事実が別の事実に置き換わる

北海道を襲った大地震と、それにともなう大停電。
海外出張中だった私は、一切の被害を経験せず、ほぼ平常時に戻りつつあるときに帰国しました。

人生の中でも、そう経験のない大災害なので、家族や職場の同僚に、あれこれ聴いて回りました。

 

その時、興味深い経験をしました。

 

職場では、電気がないと一切の動きがとれません。
そのような中、ある部署がギリギリの状況で、業務を乗り切ったという話がありました。

その顛末を、5~6人の同僚から聞かせてもらいました。
ヒトは極限状態に置かれたとき、普段なら表さない感情や、思いがけない行動をとる生き物です。今回も、一つをやり通そうとするとき、もう一方を犠牲にしなくてはいけない、ギリギリの選択が求められる場面があったそうです。ヒトによって判断に迷う場面だったので、意見の衝突があったようです。

 

結果的に、ある一方を選択したのですが、その判断は、ヒトによって真逆の評価になっていたことに驚きました。

 

・この判断は素晴らしかった。それに反対するヒトは理解できない。
・この判断はひどかった。あんなことをやられたので、結果的にとんでもないことになった。

 

これは極端な二つの意見ですが、その中間も存在しました。

私は、Aさんから「あれは、よい決断だった」と言われればなるほどと思い、Bさんから「全く理解できない決断だった」と言われればそんな考えもあるよな、と感じました。

 

その場にいなかった私には、どちらも納得できるのです。

 

私は、このとき、昔の経験を思い出しました。

それは、裁判所での調停での出来事です。


裁判所での裁判官や、調停員などは、どのように判断していたのか、と。

一つの出来事であっても、見方や切り口を変えると、こうも真逆の評価になるのであれば、プレゼンテーションの上手なヒト、受け取る側の思い込みや価値観に、強く左右されてしまいそうです。

 

私は、離婚調停の際に、私と話をしていたときの調停員の様子と、元妻と話をしてきた後の調停員の態度が、180度変わっていたことに驚いたことがあります。
結局、世間の古く、伝統的な一般論(+おそらく調停員の価値観)をもとに、寄り切られてしまいました。

 

今回、一つの事実であっても、受取方は千差万別だということがわかりました。特定の個人の意見、一方向からの意見だけで、物事を決めつけることの危うさを、身近なところで経験しました。

 

私たちは得てして、「あの人は。。。」、「あの国は。。。」と決めつけがちですが、違った切り口から見ることはとても大切でしょう。
そうすれば、SNSなどに見られるバッシングや炎上といったことも、今よりもっと減るのではないでしょうか。

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