乳牛と酪農を科学する

乳牛と酪農を科学する

乳牛の栄養や酪農システムについて大学教授がつぶやきます

戦争孤児の存在について考えさせられました

日曜日の夜。
さほどおもしろいテレビ番組やっていなかったので、BSのチャンネルに切り替えて、たまたま観た番組がありました。

 

それは、戦争孤児を取り上げたドキュメンタリーでした。
妻と二人、絶句したり、涙しながら、深夜でしたが番組の最後まで釘付けになりました。

www4.nhk.or.jp

 

番組では、戦争で親を亡くし、野良犬のように蔑まれ、苦闘の人生を歩んできた方たちが取り上げられていました。

 

戦時中には、父親が戦死したことを「名誉」なこととして「靖国の遺児」と政府から表彰された少年も、終戦と同時に浮浪児に落ちぶれてしまいます。

 

「自分は何も悪いことをしていない。ただ、精一杯生きようとしただけだ。それなのになぜ野良犬のような扱いを受けなければならないのだ。戦争を勝手に始めたのは大人たちだ。大人たちの責任だ」

ある当事者は、このような内容を口に、戦後80年がたとうとする今でも、怒りをぶつけていました。

 

あるいは、長年連れ添った夫を亡くした女性は、「長い結婚生活、戦争孤児だったことを夫に話せなかった」と、仏壇に手を合わせていました。

 

保護された児童の当時の記録からは、13歳で重度の梅毒に冒されていた少女がいたことが記されていました。

劣悪な生活が原因で全盲となってしまった男性なども登場しました。彼は、同じ境遇の親友を自殺で亡くしてもいます。

 

戦争孤児たちが孤児院で歌った歌が心に染みました。

歌詞の一説には、お母さんに抱かれたい、という内容がありました。。。

 

番組でインタビューに答えていた元孤児たちは、幸運にも長生きなさっている方たちです。
孤児の多くは、次々と餓死していったそうです。
国が起こした戦争によって親を失い、筆や舌で表すことのできな苦しみを被った子供たち。

 

私は、子どもの頃(おそらく小学生)、いとこの家にあった漫画「はだしのゲン」を読みました。
そこには、ゲンや友人のチンピラになってしまう少年など、戦災孤児が描かれていました。

 

番組を観ていて、恐怖と共に漫画を読んでいた、あの頃が思い出されました。

子どもの頃と異なり、大人となって子を育てる今、改めて戦争孤児という存在から重たい問いを突きつけられたような気持ちになりました。

 

彼らが悲惨で、かわいそうと思う反面、私は暗い気持ちを抱いてしまいました。

それは、タイムスリップして、私が大都市の駅にたむろする薄汚れた子供たちと同じ時代に生きたとき、果たして温かい手を差し伸べてあげることができるだろうか、と想像してしまったからです。

 

たとえば、私は海外に出かける機会が多いですが、国によっては物乞いをする人たちが大きな駅などでは当たり前のようにいます。
そういった人たちに出会うと、私は身構えるような心持ちになり、足早に通り過ぎます。かわいそうと感じるよりも先に、警戒心が前面に出てしまうからです。

 

生きるために盗みを繰り返さざるを得なかった戦争孤児。
そんな彼らを避けるように歩いた当時の市民。

どちらも責めることはできないと感じました。

とにかく、戦争が悪いとしかいえませんでした。

 

妻と二人、重たく考えさせられた、そんな夜でした。