これから書くことは事実に基づきます。
札幌から1時間ほど離れた地方都市に小学6年生の児童が暮らしています。
その児童は学校で、何者か(おそらくクラスメート)によって、筆入れの中の文房具をすべて粉々に壊されました。
その中には、お気に入りの文房具がたくさん入っていました。
その児童は、1年前にも、いじめに遭い、登校ができない時期がありました。
学校側がどのような対応をしたのかわかりませんが、1年前のいじめが見た目上は沈静化し、その児童が再び登校できるようになってから、約1年が過ぎたところに、今回の事件は起こりました。
今回、いじめを受けた児童の親は激怒し、学校に対応を求めました。
犯人を見つけだし、親子で謝罪に来てもらわなければ困ると。
ひょっとしたら昨年の加害者が犯人かもしれないので、調べて欲しいと考えていました。
ですが、学校は犯人捜しはしない、自主的な申し出(自首)を待つ、いじめに遭った児童に対しては学校として特別に目を配り、これ以上の被害に遭わないように努める、という回答でした。
犯罪といってもよい事件であったにも関わらず、大ごとにせず、丸く収めるという判断でした。
文房具を壊された児童はショックで涙を流しました。
それからしばらくは、登校前に腹痛を感じるようになりました。
この事件に対して、児童の親だけでなく、祖父母や親戚までが、心を痛め、腹を立てているそうです。
ですが、被害を受けた児童は、そういった周囲の大人に対して、心配をかけたくないと思ってか、事件の直後から学校に通い続けているそうです。
視点を変えて、いじめをした加害者に目を向けてみましょう。
それが誰なのかは、いまだ見つかっていません。
自ら申し出るのを待つというのは、まずきれい事でしょう。
文房具を壊した児童(たち?)は、どのような気持ちで、毎日登校し、いじめた児童と同じ教室で授業を受けているのでしょうか。
推測になりますが、加害者が同じクラスメートならば(その学年は2クラスしかないそうです)、文房具を壊された児童と毎日のように言葉を交わしているかもしれません。
一緒に給食を食べて、掃除当番をし、グループワークをしているかもしれません。
いじめをした児童側の心の中身には
後悔があるのでしょうか。
それとも、次の機会を探っているのでしょうか。
元気に登校してる姿を見て、効果がなかったと腹立たしい思いをしているのでしょうか。
どの状態であったとしても、このような宙ぶらりんな状態は加害者の将来にとってよいことなのでしょうか。
精神的にも、金銭的にも、損害を与えたわけで、大人の世界なら警察に捕まる事件を犯したわけです。
これを、放置して、うやむやにしてしまうことが、本当に正しいことなのでしょうか。
悪いことをしたことをわからせ、謝罪させることが、いじめをした児童の将来を考えると、真の教育なのではないかと思えます。
必修化となった道徳ではそのようなことを教えているのではないでしょうか。
今回文房具を壊された児童が流した涙は、全く無駄な、流す必要のない涙でした。
世の中には、いじめや虐待で、自らに何の原因もないのに涙を流している子供たちが大勢います。
涙を流している児童を本当にケアし、その上で加害者に対しても正義を教えるという教育的な視点からも、犯人捜しは必要なのではないかと考えてしまいます。
↓個性や多様性を尊重する国、アメリカ