僕も彼の代表作「不夜城」を読み、ハードボイルド小説の分類に、少しなじめず距離を置いていました。
今回、彼が直木賞を受賞したことで、改めて手に取ってみようかなと思っています。
蛇足ですが、直木賞受賞作品はほぼ外れがありません。
こちらも、3分の1程度読み進めましたが、女社会のヒダの内側まで描かれているので、読むとグッタリと疲れるのですが、興味深くてページを繰る手が止まりません。
さて、その馳さんが、地元浦河の高校生と対談したという記事が道新に掲載されていました。
そこで、高校生から作家とはどんな仕事ですか?と尋ねられた際の、彼の回答が今日の表題です。
僕も学生に卒論指導をしているとき、時折この言葉を口にします。
そして、「だから大変だけど、とても成長するんだよ」と続きます。
研究も、立案から始まって、計画を立てて、実際に動いてデータを取り、最後は学会発表や論文にまとめるという点で、「無から有を産み出す仕事」と言えます。
僕たちの牛を飼ってデータを取る研究は飼養試験といって、短くても1年、長ければ数年かかってようやく論文提出までたどり着きます。
飼養試験を実施したけど、お蔵入りということも珍しくありません。
この場合は、思ったほど興味深いデータが得られなかったケースもありますし、単に自分の怠慢から論文にまとめられずにグズグズしているというケースもあります。
最近は英語、日本語を問わず、興味深い結果については論文化することを自分へのノルマとして、気合い入れて取り組んでいます。
論文となって初めて「有」が生まれ落ちるということになります。
告白しますが、この「無から有を生み出す仕事」、自分にはとてもツラくて、正直好きな仕事ではありません。
論文を書く作業はツラいですし、査読者からは手厳しい指摘も受けることになりますので。
いい歳になって、匿名の査読者からダメ出しされるのは、なかなかヘコむ経験です。
そこまでして、なんとか論文が受理され、出版されたとしても給料には反映されませんし(^^;)
でも、僕は大学教員として最低限の義務だと思って、歯を食いしばってがんばります。実際、これを手放してしまうと、大学教員としての社会的存在意義は「無」になってしまうでしょう。
同じ「有」を産み出すことが直接の生業につながる作家とは違うところですね。
両親が営んでいたラーメン屋も「有」を産み出す仕事ですが、レシピや材料があるので、純然たる「無」から「有」であるラーメンを産み出しているとは言いにくいでしょう。
世の中にはいろんな仕事がありますが、この「無から有を産み出す仕事」は、向いていないヒトには苦しい仕事だと感じています。
ただ、苦しい仕事ではありますが、人間関係の苦しさは、どちらかというと少ない部類の仕事になるかもしれません。
この週末、「72時間」で、東京のタクシー運転手さんたちが取り上げられていました。タクシーの運転手という仕事は「人間関係のない個室での仕事なので精神的には楽だ」と答えているヒトがいました。
僕の仕事も、モノを売ったり、仕事を受注してくる仕事ではないですし、「半沢直樹」のように大きな組織でイヤな上司の顔色をうかがうという仕事でもありません。
キツキツの人間関係がないので、その点のストレスは軽いかもしれません。
今日は作家のコトバから、大学教員という仕事を考えてみました。
↓母は「有」を産み出す偉大な存在