おばんです。
今日はN教授の最終講義がありました。
私の大学では定年退職する先生は最後に「最終講義」を行うのが通例になっています。私が長らく所属していた「附属農場」には、これまでに多くの教員、技師の先輩たちが在籍していましたが、最もお世話になっていた直属の上司がN教授です。
1人1研究室体制なので、厳密には上下関係はありませんが、私にとっては上司も同然のお付き合いをしてきました。大変かわいがってもいただきました
N教授は本学出身で、附属農場ひと筋で実習教育に熱意をぶつけてこられた方です。
彼は、農民のように汗をかいて、種をまき、雑草を取ることで、収穫の喜びを味わえることを、学生たちに率先して伝えてきました。私も、N教授と共に、畑に這いつくばって草を取り、土砂を取り除き、収穫してきました。
N教授は、こういった実習を通して、農業の素晴らしさ、酪農の喜びを学び取って欲しいという信念に基づいた40余年の学園生活でした。その軌跡が、およそ1時間の最終講義の中ににじみ出ていました。
大学の価値
大学への帰属意識とは何から芽生えるのでしょうか。
私は、出身大学は本学とは別のいわゆる"外様"ですが、N教授のような大学や農場に対して熱い想いを持っている先輩たちに囲まれて教員生活を過ごすうちに、今ではあたかも生え抜きのような錯覚を覚えるまでに職場に対する思いが強くなってきました。恥ずかしい表現かもしれませんが、大学愛といってもよいのかもしれません。
大学の善し悪しは、もっぱら偏差値や卒業生の進路あるいは論文発表数などで語られることが多いです。一方で、学生が自分の大学に対して帰属意識(愛情)を芽生えさせることができるかどうかといったことも、その価値を計る物差しになるのではないでしょうか。
その点では、土があって、草が生えていて、牛がいる本学は恵まれた環境にあります。ハコモノだけの大学多い中、自然豊かな環境は特殊です。しかし、そういったフィールドがあるだけでは大学愛というのは芽生えてこないでしょう。そのフィールドに長靴と作業着を着てズカズカ入っていき、臭くて汚いけど、なぜか爽快感を感じる農作業を学生と共にやれる教員がいるからこそ、帰属意識が醸成されてくるのだと私は思います。
今日のN教授の最終講義を聴いて、改めてそのように確信しました。
彼の後釜を担うには私はまだまだ未熟ですが、酪農大っぽい教員、すなわち作業着と長靴の似合う教員で居続けようと心に刻んだ一日でした。