昨日は、早起きして、日高晤郞ショー追悼特番を聴講しに、STVホールに行ってきました。
朝、6時半の汽車で札幌に向かったのですが、ホールロビーはすでに長蛇の列!老若男女がびっしりです!
のんびり、次の汽車を選んでいたら、入場すらできませんでした。
番組では、日高晤郞さんの偉大な足跡を実感しました。
彼のすごさの神髄に触れたのは、「昭和60年 スタジオにかかってきた1本の電話がきっかけとなり作った、『峠道』が日本民間放送連盟賞・ラジオ娯楽部門で最優秀グランプリを受賞。 (STVラジオHPより)」を聴いたときでした。
道南の漁村出身の老婆の一生を、晤郞さんが語る、一人語りです。
その女性は、貧しさゆえに、室蘭の遊郭で働き、膨らんだ借金を抱えて吉原の遊郭に売られたのが17歳。
年季が明けて子を儲けてからも、壮絶な苦労をしながら、子を愛する喜びを小さな幸せをとして、生きてきた、というストーリーです。
「一本の電話がきっかけでした」から、物語は始まりました。
高齢の女性が、「廓(くるわ)の歌」という、哀しい歌を番組スタッフにリクエストしてきたそうです。廓なんて、言葉、今の私たちには、なじみのない単語ですよね。
悲しく、でも、その中に、親子の愛情が詰まっている、そんな哀切の語りを、なんと当時41歳の晤郞さんが演じていたというではありませんか。
私、現在46歳、遠く足もとにも及びません。
どのような人生経験、場数を踏んできたら、あのような喜怒哀楽を、心に染みいるように伝えることができるでしょうか。
改めて、大きな才能を失ったことを実感しました。
さて、そんなこんなで、充実した気持ちで帰宅しました。
家に帰ると、途端に、メンコイ次男がまとわりついてきます。
愛する妻がおいしい珈琲を入れてくれます。
人生の後半にさしかかった年老いた両親、折り返し地点を過ぎたであろう私たち夫婦、彩り豊かな人生のスタートを切ったばかりの子どもたち
人の一生について考えさせられた、そんな1日でした。
その日は、いつも以上に子どもと遊び、いつも以上に家事を手伝いました。