仕事やプライベートででいろいろなタイプの人に出会います。
同僚にも様々なタイプの人がいます。
営業マンや町内会長を何年も続ける人は押し出しが強い人が多いです。
また、静かで、必要なこと以外はしゃべらない人もいます。
大阪の人はにぎやかでボケやツッコミが得意と言われますが、私の周りにはとても物静かな関西出身者も少なくありません。
かく言う、私自身、どちらかというと内向的で、ひとりが好きなタイプです。
ですから、自分にないタイプの人に出会うと、眩しく感じ、自分もこうなりたいと思うことがあります。
そんな話を晩酌の時に妻にすると、決まってこのように言われます。
「お父さんは、タイプが違うから、無理しなくていいんだよ。そんな風になろうと思っても、なれるものでないから」
たしかにそーだよなー、自分は自分でいいんだ、ということで気が楽になり、夫婦の会話は別の話題に移っていきます。
たしかに、人には生まれ持ってのタイプというものがあるような気がします。
社長、会長、理事長、学長・・・と、~長になる人は、そんな雰囲気がにじみ出ます。四角い体型で、オールバッグの髪型が似合います。
鷹揚な人は、顔も穏やかで、体型もゆとりのある人が多いように感じます。
私のように「やーやー」と周りの中心に立つのが苦手な人は、細身の人が多いかもしれません。
体型や顔つきが全てではありませんが、どのように頑張っても、私が恰幅の良い社長タイプの雰囲気を出すことはできません。
自分を認め、ない物ねだりをあきらめることで、気が楽になります。
この週末、いつになく大勢の同僚と仕事をともにし、何人もの高校生に出会って、様々なタイプの人がいることを実感しました。
自分にないタイプの性格をうらやましく想い、ああなりたいと、自分はダメだとコンプレックスを感じる人がいるかもしれません。
そんな場合、頑張る必要はないと思います。
産まれ変わらない限り、私が笑顔さわやかで、人が自然と集まってくる、クラスのリーダータイプになれるわけがないからです。
自分の特質を活かした生き方をするだけで、良いのだと思います。
数日間の間に大勢の人を見つめて、そのようなことを考えました。