乳牛と酪農を科学する

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オリックス優勝に思う、父のこと

昨日、劇的な幕切れでオリックスパリーグ2連覇を決めました。

 

実は、僕は日ハムファンになる前はオリックスファンでした。

正確には、前身の阪急ブレーブスのときからのファン。

 

僕が物心ついたときには、身の回りには阪急ブレーブスのグッズであふれていました。

なぜなら、父が筋金入りの阪急ファンだったからです。

 

おそらく北海道で、あれだけ阪急グッズを身につけいたのは僕くらいのものでしょう(笑)。

父は徳島出身で、野球の大ファンでした。

ですから、僕は子どもの頃から、プロ野球は阪急、高校野球は徳島勢+四国勢を応援するのが当然だと思って育ちました(池田高校の熱狂はスゴかったなあ)。

 

記憶に残る阪急は、美しいサブマリンの山田投手、酔ってマウンドに上がったという今井投手、奥尻出身の佐藤投手、打者では福本、松永、ブーマー、石嶺など魅力的な選手揃いでした。

球団がオリックスに生まれ変わると、イチロー、田口といったスピーディーな野手陣に、豪華な中継ぎ陣を揃えて、仰木マジックのもと連覇を達成します。

 

徳島の実家から、従兄弟に連れられて、長躯、西宮球場に観戦に連れて行ってもらったこともあります。

あの美しい天然芝の球場の右翼席から見たイチローの背中はカッコよかったです(たしか、あの試合では助っ人のニールがホームランを打ったっけ)。

オリックス時代のイチローを、道産子の僕が西宮で生で見たのは、自慢の一つです)

 

オリックスナインが、がんばろう神戸のキャッチフレーズを掲げて優勝したのは、阪神大震災との年でした。

当時、僕は大学生、自宅には祖母も健在で、テレビで震災の映像を眺めたショックは忘れもしません。

 

大人になって大阪出張時に、本物の阪急デパートや阪急電車に乗ったときの感動も、今でも覚えています。

 

昨夜、テレビで放映されたパリーグ終戦を前に、昔の思い出や父のことが心に浮かんできました。

 

父は、80歳を過ぎて、免許返納してから認知症が進みました。

 

オリックスが優勝したこともわかるかな。

わかったとしても、次の瞬間には忘れちゃうのかな。

 

当時、今の僕よりも若かかった父は、今のムスコ君そっくりの丸刈りの僕に喜んで阪急の話しを聞かせていたのでしょう。

僕が、まだスポーツのことなどわからないムスコ君にコンサドーレや日ハムのレプリカTシャツを着せていたように。