世の中には、指示待ち人間というタイプの人がいます。
指示されたことはきちんと出来るのだけど、自分から考えて行動するのが苦手な人たちを意味します。
企業人でも、農家でも、人を使う立場の方と話をすると、スタッフやこれから雇おうとする人が、自分で考えて行動できる人なのか、指示待ち人間であるかは大きな差があるという、話題になります。
考えて行動することができるヒトと、できないヒトがいるのはなぜなのでしょうか。
そのためには、「考えて行動する」ということを定義しなくてはなりません。
何かの課題、テーマがあり、必要に迫られて考える。
ここまでは、多くの人にとって難しいことではないでしょう。
例)「あれ、そろそろやらなくちゃなあ」
考えたことを実践する(行動する)。
これが、難しいです。
なぜなら、行動するためには、「決断」しなければならないからです。
例えば、行動までには次のようなプロセスを経なければなりません。
あまり乗り気でないが、しなければならないことがある
↓
「よし、この瞬間からやり始めよう」と心の中で決断する
↓
行動する(頭、手あるいは身体を動かす)
↓
課題が片付く
「行動」とは、文字通り身体の一部を「動かす」ことです。
行動を先延ばししている間は、身体を動かす必要がありません。
これは、エネルギーを消費しないので、とても楽です。
行動するためには、決断する、そしてエネルギーを消費しなくてはいけない。
だから、つらく、メンドクサイので、できないのはないでしょうか。
指示待ち人間とは、言われたことだけをやる人種です。
言われたこと(指示されたこと)をやるということは、身体を動かすことに変わりませんが、決断する作業が省略されています。
これはとても楽です。
仕事から帰宅したお父さんが、妻や子供たちから、次の休みの計画、教育のこと、住宅関係のプランなど、決断を迫られると逃げ出したくなることがあります。
私は、人には1日にこなせる決断の回数に限りがあるという考えです。
これは、すでにその日の決断の容量(回数)を、家の外で消費し尽くしているからです。
休みの日にひたすらゴロゴロしていたくなるのは、決断というつらい作業をしたくないからなのです。
どこかへ出かけたりすると、必ず決断がついて回ります。どこへ行く、何をする、何を食べる、何を買う・・・etc.
たとえば、私は愛妻弁当を毎日持たせてもらっています。
これはとても助かります。
なぜなら、昼食を決めることをしなくても良いので、決断を1回分とっておくことができるからです。
椎名誠さんの著作に「ひるめしのもんだい」というのがありますが、何を食べるかを決めることも、面倒といえば面倒です。
今日のまとめです。
考えて行動できる、自立した大人になるためには、決断力を身に付けなくてはいけません。
子どもの頃から、そのクセが身についていると、社会に出たときに役立つことは確実でしょう。