私の学生時代、
生協の本売り場に、春先になると出回る、手作りの小冊子がありました。
正確なタイトルは忘れましたが、講義を担当する教員の鬼仏(オニホトケ)表です。
この講義を担当する教員はユルくて単位を取りやすいので「仏」。こちらの教員は単位認定に厳格で、一切の妥協はない「鬼」。といった具合のことが、書かれているのです。
誰が作ったものやらわかりませんが、履修登録の際に、大いに参考にしたものです。
さて、私は学生から観て、鬼なのでしょうか、仏なのでしょうか。
おそらく、これまでは、どちらかというと仏だったと思います。
講義では、なんとか合格点に達してももらおうと、あの手この手で、学生を引っ張り上げようとしていました。
しかし、最近、その考えが変わり始めました。
学生指導、子どもの教育・しつけ、様々なビジネスパーソンとの出会い、読書を通しての学びから、社会に出るまでの期間にどういった経験を積むことが、本人にとって良いことなのだろうか、考えるようになってきたからです。
困ること、失敗すること、を子ども時代~学生時代に、どんどん経験すべきではないか、というのが今の私の結論です。
この頃、感じる機会が増えたのは、子どもから若手ビジネスパーソンに至るまで、失敗や挫折によって、困った経験を持つ人が、少ないのではないかということです。
私が歳を取っただけなのかもしれませんが、社会のルールを甘く見ていたり、困難に際して簡単に逃げ出してしまう、そんな人が多いように思います。
私は、子供時代から、悪さをして怒られ、失敗して、挫折を重ねて青年期に至りました。好きな子に振られたことも何度もあります(^^;)
それらの経験から、困難を乗り越える知恵や心の強さを、多少なりと学んでたように思います。
大学受験に失敗し、浪人したことも、根気よく勉強を続けることの大切さや、もう落ちられないというプレッシャーなど、心を鍛える良い経験だったように思います。
ということで、最近は、過剰な救済措置は本人のためにならないような、気がしています。
自分の怠慢で、授業の単位を落とすのも、それはそれで、学生だから許される、良い経験なんだと思うようになりました。
ドンドン失敗して、反省し、失敗から学ぶことのできる、人間力を養ってもらいたいと願っています。
↓乳牛のホルスタインに、肉牛の黒毛和牛の精液を授精すると、肉質に優れた雑種の子が産まれます。