先日、道北の酪農施設の視察に出かけました。
その際、案内いただいた方の自動車には、かなり高度の自動運転機能が装備されていました。
高速道路も、一般道も、前方車両に追従して自動走行可能なので、足の操作がほとんど必要ありませんでした。ハンドルにも、大部分は手を添えているだけでOK。
自動運転もここまで来たか、という印象ですが、残念ながら自動走行機能が装備されていた今回の自動車は、私には手を出すことのできない高級車でした。
私の父は、80歳を越え、今春短期入院した病院の指導によって運転を自粛させられました。
判断能力の衰えから、もうハンドルを握ってはいけません、という指導です。
保守的な母はその言いつけを守り、今夏、父は運転をやめてしまいました。
その結果、彼は、みるみる老け込んでいっていることが、私の目に映ります。
近所ではあるが、歩いて行けないところに住む孫の顔を見に来ることができないことも、父の老化に拍車をかけていることでしょう。
ずいぶん前になりますが、島田洋七さんが日本農業新聞のコラムで、免許返納のことで素敵なことを語っていました。
「田舎で免許を取り上げられると、お年寄りにとっては死活問題だ。お年寄り向けに、時速20~30kmしかでない、低速のオート三輪を再び売り出せばよい。これだと、ノロノロ運転なので、事故を大幅に防げるはずだ」
というようなコラムでした。
彼が若い頃は、それに乗って八百屋の配達をしていたそうです。
私は、このアイデアに、ポンと膝を叩きました。
なるほどな~
そもそもスピードが出ない自動車であれば、大きな事故も起こりえないですよね。
うちの父の場合、100kmも出る自動車は必要ないけど、5km離れたところに住む孫の顔を見に歩かずに行けるだけの移動手段があればよいだけなのです。
歩きではつらいスーパーまで買い物に行きたいだけです。今まで自動車で10分で行っていたところに、ノロノロ運転で30分かかってもよいので、目的地にたどり着ければよいのです。
私の妻は、助手席に自動車教習所の教習車のようにブレーキを付けて、何かあったら同乗者が自動車を止められるようにしたら良いのに、ともいいます。
そうして、冒頭に紹介した、自動運転、自動ブレーキ装置の低価格化と普及です。
政府、自動車業界、そしてノロノロ運転でも許容できる寛容な世の中、この3者の理解があれば、いくらでも高齢者限定の低速安全自動制御自動車を開発、販売できるはずです。
本州の1車線道路では渋滞を招く恐れがあるのであれば、まずは北海道のように3車線や2車線道路で実験をすれば良いでしょう。
とにかく、日本はおかしなことがあれば、工夫する前に何でもやめさせようとします。
やめさせてしまえば、事故は起こりえないからです。
「危ないから、やめなさい」
という発想です。
最初から事なかれ主義を選択するのではなく、工夫や注意をして継続できないか、考えてみることが大切です。
お年寄りから免許を取り上げれば事故は起こりませんが、私の父のように生きがいを奪われて老け込んでしまう老人を増やすだけのような気がします。
自力で活動できな老人が触れることは、かえって大きな損失と負担を国全体に強いることになりはしないでしょうか。
高齢者の交通事故ををことのほか大きく取り上げる新聞記事を見ると、お年寄りが邪魔者扱いされているようで、寂しい気持ちになります。
↓酪農家の奥さんが描いた絵、「誰だってカンペキなヒトはいない」本当にその通りだよなあ、しみじみ思います。