ここ最近、連続して酪農現場に精通しているベテランに教えを請う機会を設けています。彼らに共通するのは、酪農家から「金を取れる」だけの腕を持っているということです。
僕のような大学教員や研究者は酪農サイエンスに通じているかもしれません。
ですが、それがすなわち現場で使えて、酪農家が欲する技術であるかどうかは単純にイコールではありません。
僕は研究でも、牛飼いでも人並み以上になりたいという思いを持っていますが、その両方を身につけることの難しさを感じながら、年月を積み重ねてきました。
今回お会いした尊敬するベテランの一人が、そのような僕のモンモンとした思いを明確に代弁してくれるメッセージをくれました。
「稽古には二つある。一つは技を作る稽古。二つ目は技を使う稽古。その二つが無ければ実際に使うことは出来ない」
彼が先人の武闘家から学んだという、この言葉を教えてもらったとき、まさにその通りと喉元の小骨が取れた気持ちになりました。
研究者が学ぶ酪農サイエンスは「技を作る稽古」、それを現場で活用し、農家に還元するのは「技を使う稽古」になります。
「技を作る稽古」はいわば道場での日々の訓練です。
空手でいえば型や寸止めの稽古であり、試行錯誤が必要であったとしても、大きな危険はともないません。
一方、「技を使う稽古」は、試合に出たり、実際の戦いの場面でしか実行できません。
フルコンタクトの切った張ったの戦いでは、敗北=命の危険につながる恐れもあります。
自分もそれなりに現場で経験を積んできたつもりですが、実際に生活のかかった現場での真剣勝負を長年経験してきた先輩たちの話しを聴くと、にじみ出る凄みのようなモノが全く違うことを思い知らされました。
今は亡きラジオパーソナリティの日高晤郞さんが言っていましたが「人間いくつになっても勉強が大事。勉強を始めるのに遅過ぎることはない」というのが、49歳の自分からみて誤りでないことを実感しています。
メンターという言葉あります。
日本のイメージでは師匠でしょうか。
今読み進めている「残酷すぎる成功法則」(エリックパーカー)の中にメンターの重要性が記されています。
「メンターを得た起業家は、そうでない起業家に比べて7倍の資金を調達し、3.5倍も早く事業を成長させて」いたり、「メンターのいる企業役員の平均給与は、メンターがいない者より28.8%高い」ことが明らかになっているそうです。
今回のご縁は金額ではとても計ることができません。自分の師匠として離れずに付いていきたいと考えています。