乳牛と酪農を科学する

乳牛と酪農を科学する

乳牛の栄養や酪農システムについて大学教授がつぶやきます

学力を決めるものとは:風呂桶にコップで水をくみ続けることができるバカになれるかどうか

今日は娘との面会です。
天気も最高で、久しぶりの宿泊面会で楽しんでいます。
さて、彼女はダンススクールに通っており、今はその会場のあるショッピングモールで時間つぶし中。


彼女のダンスは、妻が私と娘の面会を円滑に進める上で有利に働くということで始めたものです。当初は経費も妻が出してくれました。妻の懐の深さや大局的な視野にはいつも頭が下がります。

 

さて、今はフードコートでアイスコーヒーを飲みながらブログ更新しています。ここは、市内有数の進学高校が近くにあることもあって、多くの高校生が勉強しています。

夏休み、最高の天気、若者の多くは海や夏祭りに楽しんでいるだろうに、がんばってるな~

 

↓フランス、ブルゴーニュ北部のマルサネという村のブドウを運ぶ農民の像

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私は最近、ヒトの学力というものについて考えます。
脳の構造が明らかに優れている天才も中に入るでしょうが、多くの場合、学力は「時間×集中力」の積み重ねで決定するのではないかと考えています。
ですから、物理的に時間と集中力を投入すれば誰だってある程度までは行くでしょう。偏差値で60前後は確実です。

 

ヒトは次の3タイプに分けられるでしょう。

時間×集中力を
①自力で投入できるヒト
②親や塾講師に強制されるとつぎ込めるヒト
③誰に言われてもやれない人(やらないヒト)

 

今、私の目の前で勉強している高校生は明らかに①のタイプでしょう。
毎日のように、妻にがみがみ言われて机に向かっている我が長男氏は②でしょうか(^^;)

 

私は「おまえは頭がいいからうらやましいよ」「○○高校、××大学をでてすごいね」と言われることがあります。だから、人前で学歴や職業の話をするのが好きではありません。自分では何もすごいとは思っていないからです。もし、ヒトよりも多少優れているところがあるとすれば、何でも疑問に思えることと、ヒトが遊んでいるときに机に向かうことができた部分だけでしょう。

私は中学生の頃、テスト前は極めて長時間机に向かいました。
理由は二つです。
一つは臆病で心配性だったこと。やらないとテストの点数が悪くなるという恐怖心です。点数が低いのはかっこわるいという、かっこつけだったのかもしれません。

もう一つは欲深かったこと。良い点数をとれると気持ちよい、嬉しいという気持ちになるので、高得点を取りたいという欲が強かった。

その甲斐あって、中学時代は成績は学年トップクラスでした。

 

高校、大学時代も同じスタイルでテスト前は勉強しましたが、残念ながらどれだけがんばっても成績は底辺をさまよう落ちこぼれでした。結局は、その程度の能力だったということです。

 

私は博士論文の提出が遅かったです。40歳を過ぎた准教授時代に、博士論文を仕上げました。あの1年は今振り返っても壮絶でした。妻に弁当を3食作ってもらい、毎朝4時出勤の22時帰りという生活を1年間続けました。日中は本来業務があるので早朝とアフターファイブしか執筆に取り組めないからです。

 

話はそれますが、1回目の結婚でゴタゴタしていたときにはとても博士論文など書く気になれませんでした。今の妻のことを、私は「あげまん」と呼んでいます。夫婦であれ恋人関係であれ、パートナーに恵まれるかどうかは、仕事に打ち込むうえで極めて重要なファクターだと感じています。
私の経験に照らし合わせると、突然の不振を極めるプロ野球選手などは、家庭がうまくいっていないのかなと想像したりもします。日ハムの4番、大丈夫か??

 

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学力に話を戻します。

自分を律することができるか、周囲の仲間が遊んでいるときに教科書を開けるか、採点で○をもらえたときに幸せを感じて、それをモチベーションに再度机に向かえるか、こういった部分が学力を決める因子になると、私は考えます。

脳の機能は、個体差はあるでしょうが、ちょっとやそっとじゃ容量オーバーになるほど器は小さくないと思います。
脳は風呂桶のように大きな器です。脳という風呂桶にコップで水をくむ作業を、愚直にやれるかどうか、これでしょうか。
根気さえあれば、誰にでもできる簡単な作業です。

成績の良い人をうらやましく思うくらいなら、今この瞬間から水をくみ始めてはどうでしょうか。必ず見返りがあります。