いつ頃からでしょうか、私の住む札幌では、中学生や高校生が、カタツムリやヤドカリのように、重そうで、巨大なリュックを背負って登校するようになっています。
小学生も、ランドセルの中身はパンパンです。
昨日、私は、小学5年生の娘の勉強を見ました。
回転寿司でディナーを楽しんだ後に、理科の宿題を一緒に取り組みました。
理科の教科書は、一つの事象を確認するために、実験や観察を通して、試行錯誤を繰り返し、答えを導くという書かれ方になっていました。
考える手順を中心にまとめており、それ自体は良いことかもしれません。
ですが、娘の先生は、教科書をほとんど使わないというそうです。
私が教師でもそうでしょう。
なぜでしょうか。
教科書の、中身が薄すぎるのです。
私は、天気の曇りについての章を見ました。
曇りの観察について書かれているのですが、結局、大事なことがなんなのかさっぱりわからないまま、次の発芽のページに移ってしまいました。
結論は何?という感じなのです。
これには驚きました。
要点が、なーんにも書かれていないのです。
授業を受けていない人間が、教科書を見ると、重要なことがなんなのか全くわかりません。復習をしようにも、教科書を見ても、大事なことが強調されては書かれていません。
写真や、イラストばかりが、ページを占有しています。
今時の教科書は、紙面の大半を絵で使うという、贅沢な構成なんですね。
まるで図鑑か、写真集です。
このやり方で、必要な事柄を全て伝えようとすると、そりゃあページも多くなります。
おまけに、カラーなので、ピカピカの厚くて重い紙が使われています。
サイズもA4版なので、でかいです。
全ての科目が、こんなスタイルの教科書なら、重たいですよね。
中身の薄い教科書だと、ページは厚くなるだろうし、副読本も必要になるかもしれません。
私が生徒・学生の頃は、ペッタンコのカバンを持ち歩くのが、ちょい悪のファッションでした(これは論外ですね(^^;))。
先日の北海道新聞に、重たい教科書を背負って登校する、児童・生徒のことが取り上げられていました。医師がそのことについて、警鐘を鳴らしていました。
成長期に、あまりに重たい荷物を背負い続けると、成人になって骨格に異常をきたすリスクが高まるそうです。椎間板に負担がかかりますからね。
きれいな教科書は、一見、カッコよくて、関係機関に受けは良いかもしれません。
しかし、それを持たされる、子どもの福祉のことを考えると、改善の余地はあるのではないでしょうか。
中学生の息子の登校リュックなんて、腰の強くない私は、持ちたいと思いません。
10kgを越えているかもしれません。
体力のない、小柄な生徒は、どうしているのかと思います。
これに、部活の道具を持ち歩くとなると、キャリーケースが必要ですよね。
毎日の登校が海外出張(^^;)
最近は、復刻版のマンガなども、文庫サイズで、再版されています。
単行本は、小説として、再度売りに出されます。
教科書の小型化、スリム化、考えられないのでしょうか。
↓30年前の高校の教科書!小さくて軽い!