乳牛と酪農を科学する

乳牛と酪農を科学する

乳牛の栄養や酪農システムについて大学教授がつぶやきます

乳牛の家畜化の歴史

反芻動物は小さな順から家畜化されていきました。


ヤギ、ヒツジ、そして最後にウシです。
牛の家畜化は、今から8000~9000年前といわれています。

 

そもそも、家畜化の定義とは?
その最も大きな要件は、繁殖(生殖)のコントロールです。

ゾウや、鮎を捕まえるウが家畜と呼ばれないのは、野生の幼獣を捕まえてきてヒトが扱えるように育てるからです。

 

牛は羊や山羊と比べて大きく、力が強いので、家畜化が遅れたと考えられています。

 

力の強い牛を家畜化するためには、繁殖以外にも、去勢も必須の技術だったことでしょう。オス牛は闘牛のイメージそのものの凶暴な性格です。

 

私は南フランスのアルルや徳之島で闘牛を観たことがありますが、オス牛の迫力、どう猛さは草食獣とは思えないものでした。

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どう猛なオス牛ですが、睾丸を除去することで、温厚で扱いやすい家畜となります。
去勢は、家畜に限ったことではありません。
中国の歴史を学ぶと登場する宦官も同様です。

 

そして、乳牛として家畜化する最終段階の技術発明が「搾乳」だったことでしょう。

 

麦などの穀物を主食としていた当時の人類は、植物性タンパク質のみでは必須アミノ酸が不足します。
殺して、食べてしまえば終わりの生産性の低いタンパク質源から、牛が生きている限り永続的に搾取可能なタンパク質源の獲得法は、効率的で画期的な発明だったといえます。

 

最後の関門は牛に与えるエサの調達です。

牛は大きく、エサの摂取量もハンパありません。

 

ヨーロッパでは、8世紀以降、1年目の圃場に小麦やライ麦、2年目の圃場に大麦やエン麦、豆類、3年目の圃場は休耕とする、三圃式農法システムが定着します。

 

3年目の休耕畑で生育した草資源で、大食いの乳牛に与えるエサを確保できるようになります。

 

それまでは、鍬(くわ)や鋤(すき)を引けるオス牛の方が重宝され、力の弱いメス牛までは飼い、育てる余裕がありませんでした。

それが、三圃式農法システムの登場によって、大量の牧草を調達可能となり、メス牛も飼うことができるようになったのです。

 

ここから、使役や肉資源としてのウシから、乳用家畜としてのウシが躍進していくことになります。

私の手元にある、イギリス製の絵本では、西暦800年代にウシが家畜として描かれています。彼らは、畑を耕す使役牛としての存在です。

 

搾乳風景は、1800年代のページで初めて登場します。

 

休耕圃場で、イネ科牧草に加えて、より栄養価の高いクローバーなどのマメ科牧草を栽培することで、飼うことのできるウシの数はさらに増えていったようです。