乳牛と酪農を科学する

乳牛と酪農を科学する

乳牛の栄養や酪農システムについて大学教授がつぶやきます

自分の牛乳は自由に売りたい:若手酪農家の挑戦(ガイアの夜明けを観て)

昨夜は空手教室、平日夜の部に行ってきました。
いつもは次男の付き添いで子どもの部なので、いささか物足りない練習です。昨夜は成人の部ということもあり、とても刺激に満ちた時間になりました。
今後も汗をかきに週1で通おうと思った次第です。

さて、21時半に道場を辞して、急ぎ帰宅しました。
気になる番組が22時から始まるからです。
それは、ガイアの夜明けです。

www.tv-tokyo.co.jp

昨夜のガイアの夜明けは、酪農家の牛乳販売先の自由化とその課題についてでした。
こちらはシリーズで、前回も観ました。

 

「酪農家は自分の牧場で搾った牛乳を自由に売ることが難しく、そこには古くからの規制や関連団体が関係している。そのしがらみを断ち切って自由を求めるには様々な困難がある」という展開です。

「出る杭は打たれる」の典型的な事例です。

 

現在、道内の一般的な酪農家はホクレン(指定団体)に牛乳を買い上げてもらっています。このときの乳代(買い取ってもらう価格)の決定にはルールがあり、どの酪農家もそのルールに従って価格が決まります。自分で値段を付けることはできません。
乳業メーカーは、ホクレンから牛乳を買ってパック牛乳や乳製品に加工し、小売店に販売します。

 

この方式にはメリットがあります。
酪農家は自分で牛乳の売り先を探す必要がないということです。牛乳を搾りさえすれば、なかば自動的にホクレンが買い上げてくれる。これは、楽ちんですし、安心です。タダでさえ忙しい酪農家ですから、牛を飼って牛乳を搾ることに専念できるのはこの上ないメリットといえます。

 

一方で、このシステムに不満を抱く酪農家もいます。
どれだけ高品質な牛乳を生産しても、他の農場と大差ない価格でしか買い取ってもらえないということです。

 

私は本学に勤める前に、十勝地方の酪農家で1年間働きました。
その時に、親方がいつもぼやいていました。「どれだけ良い牛乳を作っても、工場に着くと他の農場の牛乳と混ぜられて一律の商品になってしまう。とても虚しい」と。


この酪農場で搾られる牛乳は、乳中に含まれる細菌の数が異常なまでに少なかったのです。そのため、私は1年間毎日、沸かさず生のまま牛乳を飲みました。当然、腹痛など一度も経験しませんでした。これだけクリーンな牛乳を生産しているので、「普通の牛乳」になってしまうことのやりきれなさは私にも伝わってきました。
私は本学への就職が決まり農場を卒業しましたが、親方は保健所との長いやりとりの末、日本で唯一の加熱殺菌しない牛乳販売に乗り出しました。

それがこちら↓の農場です。

想いやりファーム

 

昨日の番組でも、若く意欲的な酪農家が農協と厳しいやりとりをする様子が描かれていました。
時に怒声が飛び交う、緊迫した場面が続きました。

巨大な体制から、個人が抜け出ようとすると、そこには何かしらの波風が立ちます。
昨日紹介されていた若い酪農家さんの気合いは並々ならぬものがありました。

また、その酪農家を支える新進の牛乳販売組織の奮闘も描かれていました。ちなみに、この組織の関係者は私のゼミの卒業生のお父さんになります。

 

マスメディアは白黒つくようにシンプルに物事を表現しがちです。
放送では、酪農家の属する農協の組合長はさながら悪代官といった感じで描かれていました。一方、同じ内容が日本農業新聞でも紹介されていましたが、淡々と事実のみが描かれており、記事からは何ら問題は読み取れませんでした。

 

番組だけを観て、どちらが良い、悪いという判断は私は付けません。
ただ、酪農家戸数が減少し、地域の活力が失われつつある昨今の状況を思うと、ガッツある若手酪農家さんを応援したい気持ちになりました。あのような気合いの入った方が、この先地域を背負って立つと思われます。

同じ道内ですので、この先も注目したいと思います。

 

↓ドイツのマーケット

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黙っていても農産物を買い上げてもらえることの安定と自分で勝負したいという自由への思い、どちらが正しいというわけではありません。

サラリーマンと自営業という関係に置き換えると、良く理解できます。

ラーメン屋という商売をやって私たち兄妹を育ててくれた父母のありがたみが心に染みます。